2012年6月6日水曜日

競争力の維持(?)

高度経済成長を経て日本の工業生産力、技術力が世界を席巻した時期があった。現在でも相当レベルを維持してはいるが、電機等幾つかの産業においては後発国に追い上げられ厳しい状況になってきている。このような状況になると、「もう日本は駄目なんじゃないか?」とか「世界から重要視されなくなったのではないか?」「(世界の皆さんは?)もう、私の相手をしてくれないのではないか?」等、女々しい事を言い始めて悲観する向きもあるが、大きな視点で見ると悲観する必要は無いと思う。というより、悲観は相手に軟弱で意志薄弱な印象を与えるだけで何も得るところがないので止めるべきだ。少なくとも悲観している相手を頼り甲斐のあるパートナーと思う人はいない。

先ず第一に、我が日本は購買力の高い1億2千万人の巨大な人口で構成された世界で最も良質なマーケットであり、それだけで無視される筈ない存在である。確かに、中国よりは人口は少ないが、どこの誰が放置するだろうか?また、社会も比較的均質でよく教育された非常に安定な構造になっており、事業等の長期間の継続が期待できる構造になっている。これらは、全て2千年以上の歴史で醸成された世界的にも非常にユニークな日本文化の上に成立しているものである。高度経済成長も世界に冠たる技術力もその結果の一部分であり、偶々、その時代においては、そういう結果になったというだけのことである。これらの所謂、文化とか習慣とかに関する部分は真似しようとしてできるものではないので、一時的な情勢で一喜一憂するものではない。

とは言ったものの負ける勝負はやはり負けるのである。特に、後発国では開発コストや人件費を安く抑えられるので基本的に有利であり、利益も上げやすいので次期の開発にも十分な資産を投入できる。このような流れが少し続くと巷間語られているような技術的優位等はそう遠くない将来に消失してしまう。従って、技術があるだとか、開発力があるという事は全くあてにならないどころか、気がついたら無くなっているようなものである。

ついでに言うと、日本の製品は品質では勝っているので、今後もこの路線でというのも破滅への道なので気をつけたい。品質の差が気になるのは競争相手の品質が著しく低い間だけであり、合格品同士の比較は意味を成さない。その一方、品質管理は基本的には熱力学の法則に反する営みであり、多大なエネルギーを必要とするので競争相手以上にそこにリソースを投入するべきではない。理屈に従った適切な諦めが必要である。

では、どうすれば良いのか?

前にどうやったのか?

この答えは、他にも色々あるかもしれないが、「”世界に先駆けて”安価で高品質な製品の大量生産システムを確立した」という事ではなかっただろうか?そこで、大成功したからここまで来られているのである。だが、そろそろ後ろからの追撃が気になって来ている。寧ろ当たり前の成り行きではないだろうか?この後すべきことはある意味明らかである。また、”世界に先駆けた”Innovationで世界に打って出る、これを未来永劫繰り返す。それ意外には何もないのである。まあ、大変は大変だが人が生きて行く上である程度の負荷がかかるのも自然なことだと思う。


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